白衣のてんしちゃん

研修医2年目/都内の総合病院勤務/雑記帳/日常

祖父と、最期のはなし

個人的に思ったことをひたすら書くブログです。

 

先日祖父が亡くなって、葬儀がありました。

90歳過ぎても手引き歩行でまあまあ元気だったし、さすがにここ最近は認知症はすすんでいたけど、私がお見舞いに行くと昼食のデザートを「たべる?」って言ってくれる、かわいいおじいちゃんでした。

わたしのこと孫と認識していたかどうかは定かではなかったけど。

 

それはさておき。

 

病院で勤務するということは、やっぱり人の死に立ち会う機会も多くなります、

急性期病院でも高齢の入院患者さんが多く、ご家族の方に病状を説明すると、「最期はいちばん辛くないようにしてください」と仰る方が多いです。

 

私の祖父のときもそうでした。

本来なら手術が必要でしたが、年齢も考慮するとそれは不可能でした。保存的に加療と緩和ケアで、最期は穏やかに亡くなりました。

 

生前に祖父と祖母で人生の最後については話していたそうで、

「延命とかは、もういいよ。自然なままで」

って元気な時に言っていたと。

たぶん、本人にとっても良い終わり方だったかなと思っています。

 

わたしは実家県と東京は飛行機の距離なので、病室には数回しか行けませんでしたが、

最後のほうにみた祖父はもう点滴もなくてずっと寝ているような感じでした、

最期の顔はとっても綺麗でした。

 

 

おじいちゃんとわたしは、親に連れられた帰省の時しか会わなかったけど、それでも小さい頃の思い出はたくさんあります。

幼稚園の頃に運動会で竹馬に乗らないといけなくて、運動音痴だったわたしはどうしてものれなくて、それを知ったおじいちゃんが竹馬を自作でつくってくれて、公園で乗りまわした。

 

とか。

 

死亡確認は病院だったけど、亡くなったのは葬儀の場で

わたしとか、ほかのみんなの記憶のなかに

うすらまだ感触はあって、

それがだんだん薄くなっていって、例えばわたしという人格の形成の一部になって、

わたしが生きて、

また死ぬんだなあ と。

 

「みんなの記憶にあるかぎり生きている、忘れられるときが死ぬとき」っていうのは、確かにそうかもしれないなあとおもいます。

わたしという媒介でおじいちゃんはまだ生きているのかなあなんて。

 

おもっている。

 

 

おわり。